「◎◎◎保育園」に「おでかけ」しました
朝から いかにも精気に欠けた姿 表情で 保育園の玄関に立ったのだと思う
そんな私だったが
園長さんと主任さんが
「おはようございます こんなに暑い中を・・・・・」と 丁寧に明るく迎えてくれた
その声で 職業人の顔になったのだと思う
耐え難いような炎暑の中 保育園の中は篤かった
昨日もそうだったのだが
キンキンに冷えたおしぼりと 暑いお茶
更に
テーブルの端に活けられた 可憐な「秋桜」の花 参輪
私の大好きな「秋桜」だった
それが目に入った瞬間 びっくりした 同時に表現できないほどに嬉しかった
大事に丹精込めて育てられた筈だ そう思った
この暑さ
つい先日のこと
近所の庭では 育ちの半ばで 葉が焼け枯れてしまっているのを見かけていた
四歳児のクラスを覗くと
「チョッとやんちゃな子」と 「ひときわキャシャな子」が 目に入った
「チョッとやんちゃな子どもさん」は
クラスメイトの動き 活動と比べると 少しだけずれる
一人だけ前に出たり 一人だけ最後尾であったり
居場所が定まらない
目を凝らすと どうも担任保育士の居るところに居るようなのだ
何とかして
保育士の目を引こうと努力の結果 保育士の近くにいるクラスメイトに対して
「チョッとやんちゃ」になったりする場面が 時々見られた
あえて 「乱暴な・・」と言わないのは
「やんちゃ」との表現がシックリするからで シャワー 給食その他
決して長い時間ではないが おじゃました時間内において
クラスメイトから嫌われているようなことは無いように見えた
大いに好かれていることも無いとは思うが
一方
「ひときわキャシャな子どもさん」だが
何かにつけて クラスメイトから遅れがちで 保育士による手伝いがあって
なんとか活動できていることが多いのだが
いつも「ニコニコ」としていて 笑顔が絶えない
この子どもさんに対して クラスメイトは何かにつけて寛容なのだ
当然「◎○チャンは ・・・が出来ない」などといった言葉も態度も感じ取れない
◎○チャンは クラスメイトをお手本モデルにして 活動に参加できている
担任保育士は いつも穏やかな語り口調 笑顔で
この二人を含めた「クラスの全員」に対して こまめに声を掛けていた
子どもさんに対して 絶大な指導力があるとは思えないが
それでいて 大きな影響力があるのだろうと思えた
「紙芝居」が始まる時 二人を除いたクラスメイトが 既に座って待っていたが
「チョッとやんちゃな子どもさん」と「他の一人」が
部屋の前の廊下で 何やらはしゃいでいた
保育士が廊下に向かい
「○○クン ◎◎クン 今から紙芝居始めるよ 楽しいよ」と
いかにも楽しいことがありそうに 声を掛けた 誘った
二人はそれに応じて すんなりと席に着き 紙芝居の始まりとなったのだ
世間一般的には
「そんなことしていたら みんなが待っているのに・・・・・」
そんな注意 更には叱責になるのではなかろうか
仮に そうしたら お二人は席に着けただろうか
想像するに そうはならなかった 保育士の説諭?でトラブルへと展開し
保育士はその対応に追われ 楽しかったはずの紙芝居は台無し
待っていたクラスメイトからの 不満 苦情が続出・・・・・
そんなことが 良いとは思われない
「いけないことは いけないと 厳しく叱る必要がある」
真面目な顔をして そうしたことをおっしゃる学者 評論家さんがいるのだが
本当にそうだろうか 甚だ疑問である
この保育士さんは
いけないことに対して 「いけない 駄目」とは言わなかったのだ
そうしたことの 積み重ねによって
子どもたちが
担任保育士を お手本モデルにして
今のクラスの穏やかな人間関係が成り立っているのだ
「身体が触れた 物が動いた こぼれた」と いったことがあっても
それに対して 「怒りをあらわにする 言いつける 叱責」などの言葉が聞かれない
勿論 「叩くなど 乱暴なこと」も起きない 未満児は自室で 幼児はホールでの午睡
ホールは満員だった
何人かは 此処に入れずに廊下を走り回る そんなことも想像したが
そうではなかった
「チョッとやんちゃな子どもさん」を含めて 幾人かは
すんなりと横にならなかったが
5歳 4歳 3歳の幼児さん全員が 漏れなくホールに居ることができたのだ
そのことは
当たり前のようで そうでもないように思うのです
クラスメイト 保育士さん みんなと一緒に居ることが
それぞれの子どもさんにとって それぞれに良いこと楽しいこと
なんらかの魅力があるのだろう
それを 演出 創造しているのは「保育園 保育士チーム」なのだ
穏やかで楽しげな子どもさんの活動 篤い保育 ありがとうございました
加えて
遅い時間まで お付き合いくださり おつかれさまでした
気持ちをかたちにした「秋桜」 それが心に沁みた